PROFILE

ELLIOTT YAMIN

Billboardチャート史上、デビュー作が最も売れたインディーズ・アーティスト「エリオット・ヤミン」
アメリカの大人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」シーズン5をきっかけに、大物プロデューサー陣を擁したアルバム『ウェイト・フォー・ユー』で2007年に全米デビュー。Billboardアルバムチャートで3位を記録したそのピュアで温かな歌声は日本でも大ブレイクし、第32回ゴールドディスク大賞(ザ・ベスト3・ニュー・アーティスト)や、2008年度着うたフル(洋楽)年間1位を獲得。2013年には、初のベストアルバム『ベスト・フォー・ユー』をリリース。スティーヴィー・ワンダーも大絶賛する、奇跡の歌声。 

「いつも友達には、お前は何も失う物なんかないって言われてたんだ」。オーディションを受ける事を決めた時を振り返って、シンガーソングライターのエリオット・ヤミンは言う。「確かにその通りだった。当時は、全く人生に方向性がなかった。生活はカツカツだったし。でも、27才で見せる物なんか何があるんだろう?って思った。全く闇の中にいたよ。でも心の奥では、もし挑戦したなら、みんなの前では隠していたけど、今までずっとやりたかった事をやれるのかな、とも感じていた」

L.A.で生まれ、普通で平凡な少年時代。音楽の授業もずっと口パクな程シャイ。それでもホイットニー・ヒューストンが初めて好きになった歌手で、スティービー・ワンダーのボーカルの素晴らしさに恋をした。彼の母はプロのシンガーになる事を切望し、家にはいつも『ゴールデン・オールディーズ』と呼ばれる音楽があった。
エリオットの秘かな才能に影を落としたのは、彼が『耳に入れたヘンなチューブ』と呼ぶものとの葛藤だった。「13歳のとき、右耳の鼓膜が破れ手術をした。でも未だに、あんまり右耳は聞こえないんだ。いつも耳が痛かったし、耳にドロップを入れて、病院に通っていた。本当に辛かった」と彼は認める。ドクターの推定によると、その耳の90%の聴覚は失っているという。

さらに16歳のときに1型糖尿病であることが発覚する。「最初は、葛藤があったよ。信じたくなかった。能天気な普通の16歳だったのに、いきなり命に関わる病気を背負った。ティーンエイジのとき誰もがやる、クレイジーで楽しい事は無縁で、食べたものによってどの位インシュリン・レベルが上がるかモニタリングしていた。アレルギー注射を毎週何年も打ち続けたし、全く楽しくなかった」と彼は言う。

17歳から働き始めて、靴屋の店員、調査会社勤め、薬局の店員、ラジオ・パーソナリティなどの様々な職で日々を浪費していた。しかし、彼の友人達はエリオットの歌が素晴らしい事を認めていた。彼らの薦めでカラオケ・コンテストに出場したり、ジャズバンドで歌ったり、スタジオの手伝いをするなど、ためらいがちに何度かチャレンジを試みたが、それらは仕事の合間でこなす、真剣なものではなかった。

しかしオーディション番組を見ることに対しては、常に真剣だった。「ファンって言うよりも、熱心な視聴者だった。CMの間に友達に電話して『あの人みた?!』って。友達も熱中してて、いつもお前も出ろよ、って言われてた。番組は大好きだったけど、出る事によって現実がどう変わるのかイマイチ分からなかった。もちろん、KellyClarksonやClay Aikenなどがビッグなキャリアを築いてるのは知ってたけど、自分がその一人になれるとは思ってなかった。想像の範囲外だった。」しかし、ここで彼の友人が例の問い掛けをする。「何を失うものがあるんだ?」そして、エリオットの答えはひとつだった。「失うものは、何も無い」。

オーディションにはボーカル・トレーニングもステージ経験も全く無く挑んだ。番組に出演し勝ち進み、運命の時が来る。「スティービー・ワンダーが部屋に入って来て、ボイトレを一緒にやるって知った時、本当に信じられない気持ちで泣いてしまった。

これが僕の終わりかもしれないけど、もうそれでいい、って自分に言い聞かせた。その後、編集しているスタッフに『ちょっとこれ見なよ』って言われたんだ。エリオットは音楽のキャリアを進み続けた方が絶対いいって、スティービーがコメントしている映像だった。本当に驚いたよ。スティービー・ワンダーに評価されるなんて!」

こんな事があれば、自信にならない訳がない。ステージを楽しむ自分がいたことと、このスティービー・ワンダーのコメントは、プロの歌手という道をエリオットに真剣に考えさせた。

そしてその決意は、オーディション番組のツアー・イベントが行われたリッチモンド・コロシアムでカーテンが上がる前から何千というファンがエリオットの名を連呼することにより固まる。
「お客さんが一緒に歌って、笑ったり泣いたりしてるのを見ると、すごいコネクションを感じるんだ。そういう形で人を動かせる事は、今までの人生で体験した中で最も充足感のある事。僕の生きがい」エリオットは言う。「ステージに立っている時は、自分がいるべき所にいる気持ち。そしてそれは、今までにない位の確かな感情なんだ。自分の運命を生きている気がする。自分の人生を意識的に捉えられる様になった。やっと分かったんた、やっと・・・。僕はシンガーなんだって・・・」

オーディション番組で突然有名になった事を聞かれ、彼はこう答えた。「糖尿病を患う多くの若者から、僕が希望を与え、音楽の力を信じる様になったと言われる。彼らの葛藤や、苦難などを聞く。僕がオーディション番組で栄冠を手にする様子は、自分が本当に欲しいものを掴むような刺激になったと。他人の人生で、僕がそんな役回りを演じてるなんて、凄いと思う」

また自身の経験から(5年間インシュリン・ポンプを身に付けていた)ピッツバーグで行われたアメリカ糖尿病団体のサマーキャンプを訪れ、子供たちを励まそうと言う気になった。「あの子達と交わって、僕のストーリーを共有するのは、僕にとって大事なこと。アメリカン・アイドルで駒を進め、皆がもっと僕を知ったら、糖尿病の事をもっと多くの人に知らせられるとずっと心の中で思っていた。表に糖尿病の話題を持ってくるチャンスだと思ったし、子供たちがこの病気のことを学ぶきっかけになると思った。大半の人が、関係なく過ごしてしまうから」

そしてエリオットはその目標をとうに超えた。アメリカ糖尿病団体と青少年の為の糖尿病研究団体のための基金に寄付した。「オーディション番組中に、ステージやツアー中、その他メディア掲載時に着ていた服を全て寄付したよ。他にも番組の思い出の品や、サインも寄付した」彼は説明する。「でも、まだ充分やった気がしないんだ。まだまだやる事がある」

有名になったエリオットは今でも糖尿病の社会的活動に目を向けている・・・・・・。